「ジェンダー平等社会にふさわしい男性の行動基準 #GenderEqualityGoalsForMen 」について詳しく紹介します。
(基準を作った団体「#MenWithWomen」についてはこちらをご参照ください)

国連が提唱する「 SDGs 」の「人類がこの地球で暮らし続けていくために、2030年までに達成すべき目標」にならってデザインしました。
もくじ
- 1 地位、活躍の機会、経済のパイを女性と分け合おう
- 2 対応・評価・待遇・賞罰・教育を男女同様・同基準に
- 3 性別に関する差別的ルール、役割、偏見をなくそう
- 4 女性に対する人権尊重、適切な距離感、傾聴の徹底を
- 5 女性にケアの役割、わきまえた言動、”らしさ”を望まない
- 6 パートナーとの関係を名実ともに対等・フェアに
- 7 女性への暴力、ハラスメント、二次加害、つきまといをゼロに
- 8 加害者、元凶、権力勾配を透明化・矮小化しない
- 9 女性の外見に対する品評・執着、ルッキズムに終止符を
- 10 男性に偏った快楽追求やリスキーな性行動はやめよう
- 11 買春、性的搾取・虐待、性的モノ化をなくそう
- 12 年下女性への執着、ロリコン、グルーミングにNOを
- 13 有害な男らしさ、認知の歪み、様々な不健全性から脱却を
- 14 男性優位の維持に好都合かどうかで女性を称賛/制裁しない
- 15 男性特権を自覚し、歪んだ資格意識と被害者意識を捨てよう
- 16 男性同士の有害な馴れ合い、同情、序列意識に決別を
- 17 傍観者、無知・無関心、理解者気取りから卒業しよう
- 18 この基準に反する表現を否定し、差別の再生産を止めよう
- 19 この基準を見て「責められている」と感じた男性へ
地位、活躍の機会、経済のパイを女性と分け合おう

日本社会は指導的地位に占める女性の割合が異常なまでに低く、ジェンダーギャップ指数も125位(2023年)と大きく遅れています。
また、マスメディアの出演者、シンポジウムの登壇者、有識者会議の委員等に呼ばれる人が男性に偏るなど、様々な活躍の場面を男性が占有している状態です。
それらによって、女性が直面する様々な社会課題が、政治や企業等の意思決定の場でなかなか俎上に載らず、改善が遅々として進まないことにもつながっています。また、経済的なパイも男性によって占有されている状態です。
「パリテ」(=50対50)を目指すべく、男性ばかりに偏っていたら、「ジェンダーバランスを考慮すべきです」という声をあげていきましょう。
対応・評価・待遇・賞罰・教育を男女同様・同基準に

以下のように、男女で異なる対応や評価をする男性が少なくありません。
- 女性を無知だと決めつけて上から目線で求められていないアドバイスをする
- 女性に対してのみフランクor失礼な言葉遣いや、「あの子」など子供扱いをする
- 他人が失敗や悪いことをした際に、男性よりも女性を厳しく評価をする
- 女性の話は聞き入れないのに、全く同じことを男性が言えば聞く耳を持つ
- 性経験の多い男性はプラス評価するのに、女性はマイナス評価する
- 家事育児をする女性は特に評価しないのに、男性がすると「イクメン」として持ち上げる
仮に、本人に意図が無くとも、無意識の偏見(「アンコンシャス・バイアス」と言います)によってそのような対応・評価・待遇等をしてしまっている人も、珍しくないでしょう。
「同じことを男性にもするor言うだろうか?」と常に男女を入れ替えた想定を心がけて、女性への対応・評価・待遇・賞罰・教育を見直しましょう。
性別に関する差別的ルール、役割、偏見をなくそう

社会のあらゆるところで、性別役割分業や性差別を含んだルール、マナー、文化、社会通念等が根強く残っています。たとえば、以下のようなものが事例としてあげられます。
- 夫がメインで働き妻がサポートすることを当たり前のように扱うテレビ番組
- 子供が保育園に落ちた時に、妻が仕事をやめるのが当たり前という社会の認識
- 「女性らしい、しなやかな○○」のような役割の押し付け
- 「雌雄を決する」のような女性差別を内包した日本語表現
- 女性に対するメイク・スカート・パンプスの強要等、男女で異なる服装や校則や職場の服務規程
それが温存される背景には、性差に基づく偏見(ジェンダーバイアス)が存在します。偏見を自覚・解消し、「それがルールだから」などと思考停止せず、性別役割分業や性差別的ルールは一つひとつ異議を唱え、変えていきましょう。
また、一人だけでは難しい問題には仲間を募り、力を合わせて改良・改善を促していきましょう。
女性に対する人権尊重、適切な距離感、傾聴の徹底を

良好な人間関係を構築するためには、親密度に適した適切な距離感を保つことが欠かせません。
とりわけ、体格差や社会的権力差がある者からの距離感を無視した接近は、相手に恐怖感や不快感を与えるため、男性は女性との距離を縮めることに対してより慎重になるべきです。たとえば、以下のようなコミュニケーションは当然NGです。
- いきなり「ちゃん付け」やタメ語で話す
- さほど親しくないのにプライベートな質問をする
- 段階を経ないデートの誘いや性的な誘いをする
自分相手には親しみを持っているつもりなのかもしれませんが、同じ行動・言動を上司や権力者の妻・娘にもするでしょうか? もし異なる対応・態度になるという場合、相手を下に見ているがゆえの行動です。
また、女性に対して会話が一方的なドッジボールになる男性が少なくありません。双方向のキャッチボールとするべく、まずは女性の話をしっかりと「傾聴」することを心がけましょう。
とりわけ、相手から苦言を受けたときは、相手が事実誤認をしている等の場合を除いて、決して反発、話の遮り、論点ずらし、言い方に対する苦言等はせず、まずは素直に話を聞き、事実を受け入れることから始めましょう。
女性にケアの役割、わきまえた言動、”らしさ”を望まない

女性を対等な人間として捉えず、男性である自分たちをケアする役割、一方的な聞き役、”女性らしさ”を求める男性が少なくありません。たとえば、次のような例があげられます。
- パートナーに一方的な身の回りの世話や”癒し”を望む。また、そのような女性を「良妻」として持ち上げる。
- お茶くみ、お酌、きめ細かな気遣い、”女子力”等を女性にだけ期待する。
- 男性ばかりの場における”飾り”や”潤滑油”としての役回りを女性に期待する。
- 頑張ったご褒美に女性が自分に好意を持ってくれるor愛を深めてくれるはずだろうと思い込む
- 「女性ならではの感性」などと女性のあり方を自分の偏見で勝手に決めつける。
- 自分で学習しようとせず、「フェミニズムについて詳しく知りたいから教えて欲しい」などと言って、女性の手を煩わせる。
これらは全て女性蔑視が原因です。女性を対等な人間として捉え、女性の人権と人格を尊重し、女性に対する期待は自分が応えられる期待と同程度に留めましょう。
パートナーとの関係を名実ともに対等・フェアに

パートナーは本来人として対等であるべきにもかかわらず、この社会ではアンフェアな異性愛の関係が多数存在します。あからさまなDV、デートDV、モラルハラスメント等に限らず、以下のような「関係性の不均衡」も少なくありません。
- 日本人男性の家事育児の分担率が、主要国の中でも異常に低い
- 婚姻時の改姓は96%女性がしている
- 妻が労働や様々な行動に対して、夫がまるで決済権者かのように許可をしたり、理解を示す関係性
- 男性が自分で心掛けている程度以上の美容を女性パートナーに求めること
そもそも「ご主人」「嫁」「旦那」「家内」のように、パートナーを表現する言葉自体に女性差別が内包してしまっている状態です。
お互いが対等な意思決定権者として相互コミュニケーションを図りながら、意識して男女のアンフェアを解消し、名実ともに対等なパートナシップを実現していきましょう。
女性への暴力、ハラスメント、二次加害、つきまといをゼロに

この社会は女性に対する様々な暴力、ハラスメント、二次加害が蔓延しています。
あからさまな身体的暴力は当然のこと、精神的暴力、経済的暴力、性暴力(痴漢、盗撮、覗き行為、同意無き身体接触、リスキーな性行為、リベンジポルノ等も含む)も暴力の一種です。
中でも性暴力は軽視されがちで、加害者を擁護する言説や、被害者を批判する二次加害(セカンドレイプ等)も蔓延しており、決して女性にとって「治安が良い社会」とは言えません。
また、以下のような様々なハラスメントが女性の人権、尊厳、心理的安全性を脅かしており、「生きづらさ」を感じている女性は少なくありません。
(パワハラ、モラハラ、マタハラ、SOGIハラ、アカデミックハラスメント、マリッジハラスメント、ジェンダーハラスメント、ストリートハラスメント、ジロ見ハラスメント、セカンドハラスメント)
自分が加害者にならないのは当然のこと、この社会から女性に対するあらゆる暴力、ハラスメント、二次加害を無くしていきましょう。
加害者、元凶、権力勾配を透明化・矮小化しない

物事には原因と結果があります。被害が生まれる原因を作るのは加害者であり、女性差別問題が生まれる原因は男社会が女性を差別的に扱うからです。ところが、そのような因果関係を無視した以下のような言説が蔓延しています。
- 加害者が加害をしたのに、被害者に対して「どうして○○しなかったのか」とセカンドレイプをする
- 男性中心社会が女性の活躍を阻害しているのに、「女性活躍推進」などと言って焦点を女性に逸らす
- 女性が政治家になりにくいという構造を無視して、「実力さえあれば当選できる!」などと言ってクオータ制の導入を否定する。
このような原因の透明化を自分自身がしないのは当然のこと、そのような言説には「スポットをあてるべきはそこではなく、原因を生み出しているほうだ!」と指摘するようにしましょう。
また、「男の子はやんちゃだから」などと言って男性側の暴力性を免罪するような、加害性の「矮小化」もやめましょう。
女性の外見に対する品評・執着、ルッキズムに終止符を

女性の容姿を一方的にジャッジ・品評をする男性は少なくありません。その大半が、ルッキズム(外見に基づいて人の価値に優劣をつける差別)やエイジズム(若さに基づいて人の価値に優劣をつける差別)です。
もちろん、個人の恋愛や性に関する好みが外見的要素に影響を受けること自体は否定しません。ですが、他者(第三者含む)に自身の「ジャッジ」を伝えるのは、差別的価値観の押し付けであり、ハラスメントに該当する場合もあります。そもそも「他人の外見に対して本人の前で言及することはタブー」という国ですら珍しくありません。
また、他者(主に女性)を自分の性欲充足の道具のように見たり扱ったりする「性的対象化(英: sexual objectification)」も問題です。
自分が外見ジャッジや性的対象化をしないのは当然のこと、してしまっている男性を見かけたら、「それはよくないと思う」と注意しきましょう。
男性に偏った快楽追求やリスキーな性行動はやめよう

科学的視点に立ち、ジェンダー平等や性の多様性を含む人権尊重を基盤とした「包括的性教育」が、人権先進国では主流になりつつあるにもかかわらず、日本ではほとんど行われていません。
それゆえ、性に関する女性蔑視的な価値観やリスキー性行動が社会に蔓延っています。とりわけ、女性にも性的主体性や性的満足があるにもかかわらず、それらを理解できず、以下のような思い込みをしている男性は少なくないでしょう。
- 「性行為・性的接触=主に男性側が性的満足を満たすもの」という思い込み
- 女性の身体は男性の性的欲求を満たすための道具であるという思い込み
- 自分たち男性は性的満足を享受する権利があるという思い込み
日本の漫画・アニメなどで見かける「ラッキースケベ(意図せず女性の性的な部位を触ってしまうようなシーン)」の描写や、異性愛男性の妄想であるAVを実際の性行為の教科書のように模倣する「ジャンクセックス」が蔓延しているのは、その証左です。
大人なってからでも「包括的性教育」をしっかりと学び、性に関する女性蔑視的なコンテンツとの接触を極力避けて、女性も男性と同じで性的主体であり、対等な存在であるという認識を徹底していきましょう。
買春、性的搾取・虐待、性的モノ化をなくそう

ジェンダー平等の意識や真っ当な人権感覚が備わっている男性であれば、女性の性を金銭で買うという人身売買的な行為はしません。
というのも、「お互いが性的接触や性行為をしたいという情熱を伴った性的同意」こそ、本来の性的同意だと思いますが、買春や優越感地位による性行為には構造上それが存在しないからです。
それゆえ、女性の性を買う行為や、それに類似する行為(いわゆる「パパ活」等)は、売る女性の意思や表面上の同意とは無関係に、それ自体が「社会的強者である属性を利用した性的搾取」という加害行為です。
優越的地位を利用した性行動(たとえば役職・仕事・就職・契約等を提供する優越的な立場を利用して性的関係を持つこと)も、対価が金銭ではないだけで構造上は同じです。
自分たちが買春や優越的地位を利用した性行動をしないのは当然のこと、それらをこの社会から無くしていきましょう。
年下女性への執着、ロリコン、グルーミングにNOを

大人には子供を守る責務があり、未成年と性的な関係を持たないだけではなく、性的に扱うこと自体するべきではありません。
ところが、この社会では、学校制服等が一種の性的記号として扱われることに象徴されるように、未成年を性的対象として扱う「ロリコンカルチャー」があまりに広く蔓延しており、現実の未成年に対する性暴力や性的搾取を助長しています。
自分自身が未成年を性的に扱わないのは当然のこと、児童への性搾取に厳しい先進国並みのルールを設けるよう促すことで、大人としての責務を果たしていきましょう。
また、自分よりも一回り以上年下の女性に対して、良き理解者・頼れる存在であると思わせて深い関係を持とうとする「グルーミング」も、性的搾取や支配行為の一種です。成年女性でも、より年配の男性から被害に遭うことが少なくありません。
自分自身がそのような関係を持たないのは当然のこと、そのような男性に対して「グルーミングではないか」と声を上げていきましょう。
有害な男らしさ、認知の歪み、様々な不健全性から脱却を

男尊女卑が根強く、男性の抱える問題が問題視されないこの社会で生きている限り、以下のようなものを抱えている男性が大半だと思います。
- 女性に対する偏見・蔑視
- 「有害な男らしさ」を良しとする価値観
- 男らしさに関するコンプレックス
- 歪んだ自己愛や男性特権から来る有害な有能感
- 様々な認知の歪み
ですから、一人ひとりがこれらに対して真摯に向き合い、自省とアップデートを続けることが欠かせません。
そして、男らしさに自尊心を依存せず、人としての自尊心を育てていきましょう。
男性優位の維持に好都合かどうかで女性を称賛/制裁しない

「ミソジニー(女性蔑視/misogyny)」という言葉があります。この言葉のニュアンスを正確に表現すると、「家父長制という男性優位な構造の維持に都合が良いか否かで、女性に対する称賛・制裁を使い分けること」です。
女性に対して単に嫌悪や蔑視などのマイナス的感情を伴っているというだけではありません。それゆえ、以下のような言動もミソジニーの典型的事例です。
- 女性差別的な言動に対して批判を受けた際に、「僕は女性のことが好きだから女性蔑視なんかじゃない!」などと言い訳をする
- 女性が性を売ることに肯定的な女性を「本当のフェミニスト」などと持ち上げて、性売買や性の商品化に否定的な女性を「女性の権利、自由、活躍の機会を奪っている!」などと批判する
- 日頃は女性をエスコートするが、”口答え”する女性に対しては、「生意気だ」などの感情が芽生える
ミソジニーはこの男性中心社会においてまるで空気のように蔓延しており、全く無縁である人はまずいないはずです。己のミソジニーと向き合い、その解消に努めていましょう。
男性特権を自覚し、歪んだ資格意識と被害者意識を捨てよう

男性中心のこの社会では、あらゆる場面で男性特権が存在しており、それゆえ女性の選択の自由は男性に比べるとかなり狭かたっり、女性が様々な不利益を被っているというのが現状です。
ところが逆に、特権のあるはずの男性が被害者意識を持つことが少なくありません。フェミニズムの進展はあくまで男性特権を無くすものに過ぎないにもかかわらず、まるでそれが自分たちから権利を奪うような「女尊男卑の運動」のように捉えてしまう人も少なくありません。
とりわけ、昨今はインターネット上で、男性特権を無視したデマで女性やフェミニズムに対する憎悪を煽る言説やビジネスが拡大しており、さらなる女性嫌悪に陥りやすいリスクが急速に高まっています。
その結果、昨今は「自分が女性と性的な関係を満足に持てないのは女性や社会のせいだ」と考えて、場合によっては銃撃やフェミサイドなどの凶行に走る北米の「インセル問題」なども起こっています。
男性特権という構造的問題をしっかり見極められる知識と経験を身につけて、歪んだ被害者意識を持ったり、それを煽る人々に惑わされないようにしましょう。
男性同士の有害な馴れ合い、同情、序列意識に決別を

男性だけの集団のなれ合い的関係下では、以下のような悪しき文化が生まれることが少なくありません。
- 「有害な男らしさ」は社会全体にとって有害なのに、それを賞賛して高め合う
- モテ・非モテ等、様々なカースト意識を植え付けて、男性の中の序列を作り出す
- 女性への加害の共犯関係になることで、男性同士の結束力を作り出そうとする
- 男らしさの基準から外れる男性に対して、同調圧力をかけて矯正させようとする
このようななれ合いは「ホモソーシャル」と言われており、これを通じて多くの男性が、男尊女卑的な価値観を増幅・内面化・伝播させると言われています。
可能な限りそのようななれ合い的関係からは距離を置き、男尊女卑的な価値観の”感染”を防ぎましょう。また、第三者への”感染拡大”させないためにも、なれ合いの危険性を強く訴えていきましょう。
傍観者、無知・無関心、理解者気取りから卒業しよう

この行動基準に書かれた内容を自分自身は遵守できているという人でも、遵守できていない他の男性に対して傍観・沈黙・中立的振る舞いをすれば、結局のところ女性差別の共犯者に他なりません。
加害者と被害者で力関係に勾配が生じているわけですから、そのような態度は現状肯定の効果しか生まず、たとえ本人が意図せずとも、加害者に加担・ほう助することになってしまいます。
「行動する傍観者(Active-Bystander)」として、しっかり苦言や注意ができる男性になりましょう。もし一人で言い出すのは怖いのであれば、一緒に言えるような仲間を普段から作っておきましょう。
また、「自分は女性差別問題に理解がある人間だ」ということをアピールの材料にしたり、他の男性とは違うという優越感に浸ろうとする男性もいます。結局それは、自己承認欲求を満たすことが目的であり、女性を利用しているだけです。承認欲求を求める未熟さから脱するまで、女性に関わるべきではありません。
この基準に反する表現を否定し、差別の再生産を止めよう

この基準に反する様々な性差別的表現や言説が、世の中にあふれています。そして、それらを見聞きする男性は認知が大きく歪み、現実社会における差別・蔑視・性役割を再生産しています。
また、女性の性をアイキャッチにする表現や、異性愛男性にとって都合の良い女性像を描いた表現を公に掲げることは、人間としての自尊心や、「自分の体は自分のもの」という感覚、この社会で暮らすことの「心理的安全性」を多くの女性から奪う効果もあります。
この2つの悪影響は二次元(アニメ、漫画、ゲーム、AI等)でも何ら変わらないため、「現実の女性には被害が及んでいないから二次元であれば問題無い」というのは誤りです。
にもかかわらず、日本は野放図の状態です。表現の公正性と表現の自由を両立させているジェンダー平等先進国にならい、女性差別的な表現や言説はその都度しっかり否定しつつ、適切なルールを設けるよう促していきましょう。
この基準を見て「責められている」と感じた男性へ
この行動基準を見て、もしかしたら自分が責められていると感じた人がいるかもしれません。でもなぜそのように感じるのでしょうか?
これまで私たちが育って来たこの社会では、男性は女性よりも強くたくましくあれ、弱音は吐くな我慢しろ、男性同士の競争に勝て、家族を築き守れ、モテるほうが男として価値がある、性的に強くあれ、そのような価値観が当たり前とされて来ました。
また、この基準に書かれてある問題ある行動も、男性的な特徴として許容や肯定がされてきたのではないでしょうか。
社会がそのような「男性のあり方」を掲げてきたからこそ、多くの男性が男性という自分のアイデンティティの中に、上記のような価値観や特徴を多かれ少なかれインストールしてしまっているはずです。
その結果、「問題だからやめよう」という指摘が入ると、男性が責められるように見える、それはつまり男性である自分自身も責められるように感じてしまうからだと思います。
ただし、私たちは、「これまでの男性像」は、男性という存在と分かち難く存在しているものではなく、社会によって癒着させられているものであり、分離可能なものと考えています。
つまり、今まで「男性=○○」と思っていたこととは違って、全く新しい男性のあり方もあるのです。それが「ジェンダー平等社会にふさわしい男性のあり方」です。
否定項目が多く、一見不自由に見えるかもしれないですが、「これまでの男性のあり方」という呪縛に縛られている男性たちこそ、私たちから見ると不自由に見えます。そこから解き放たれれば、「人としての自分」を自由に表現できるようになるはずです。
逆に、「責められている」という感覚があるのは、「これまでの男性のあり方」と自己のアイデンティティがどれほど癒着しているか、そしてどれほど変わるべき要素が強いかを示すバロメーターです。
これを機に是非アップデートを初めてみましょう。
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実施団体「#MenWithWomen」のビジョンや、こちらの行動基準に対して賛同メッセージを送ってくださった方々を「賛同人紹介」のページでご紹介しております。
実施団体「#MenWithWomen」についてはこちらもご覧ください。
この行動基準を広める有志を募集しています
「女性活躍推進」から「男性変革推進」へとパラダイムシフトするべく、この行動基準をSDGsのように社会に広める活動に参画してくださる有志を募集しています。詳しくはこちらを参照ください。